本会は戦後まもなくGHQの占領支配を受けていた昭和二十三年に、
日本精神が委縮し捻じ曲げられていく風潮を危惧し、日本の良き伝統
精神を振るい興すために発会し、そのものずばり日本吟詠会と名付けられた。
日本吟詠会は初代宗家を中心とする同志の熱心な吟詠活動により、その輪を
広げて行った。その間、初代宗家が日本詩吟学院関西支部に所属していた関係
で、同学院の一つの吟詠会であったのだが、昭和33年、同学院から独立。
その際に楠公精神を摂り入れるの義で摂楠流と銘打ち、摂楠流日本吟詠会と
名乗ったのである。これは発会当時の崇高な理念を受け継ぐ上で、楠公精神
こそが最も相応しいと考えたからであった。また日本吟詠会は神戸で発祥した
ので、兵庫で偉大な生涯を閉じられた大楠公にあやかったのである。初代宗家は
大楠公を大変崇敬しており、日本吟詠会発足当以前より、湊川神社を吟詠関係者
で新春参拝し、境内の嗚呼忠臣楠子之墓の前で「楠公墓前の作」吉田松陰作等を
献吟していた。これは発会以後も現在に至るまで毎年欠かさず行われている。
加えて、根本を培うことの大切さを説いた流是「培根至枝」の象徴としても、
ゆっくりしているが、枝葉を充実させて大木へと成長する「楠」を相応しく、
会の発展の理想形としてあやかったものである。
また「摂」には摂り入れるの義の他、本会発祥地が「神戸」即ち「摂津」で
あることも兼ね表しており、様々な意味を込めて命名されたものである。
なお、楠公精神と言われるものの代表は「七生報国」である。元は「七生滅敵」で
あり、「七生滅賊」で定着し、現在は、何度生まれ変わっても、日本国に受けた御恩に
報いんとす」である。我々は、詩吟を自己の楽しみのみに留めず、先人の真心や尊い
訓えが凝縮されている名詩秀歌の吟詠を通じて、洗心、発憤し、自己修養に励み、互いに
心を高めあうものであり、これを吟道と自覚している。この吟道の輪を広げて、伝統精神を瑞々しく
保つ方向に進み、この趣味を楽しみつつ、国民資質の向上を図りたく、吟道報国を理念としている。